旅打ちと言えば、「名波誠さん」が有名ではないだろうか。
主に四号機時代に、パチスロとは別だが借金があり、全国のホールを放浪としながら借金を完済した方だ。
自分も大学生の時にはよくパチスロ雑誌やパチスロ漫画を買いあさっていた。
そこに連載されていたのが「名波誠さん」の「パチスロ一人旅」である。
当時パチ屋に行き始めたばかりで、旅打ちなんてものには興味がなかった。
毎回の稼働で数万近く使うため、他の地域に行くのであれば、近場のホールへと足が向かうのは仕方がない。
近場のホールへ行っては、打ちたい台を打つ生活。
これはこれで楽しかった。
始めたばかりの頃は、知らない台ばかり。
どうやったら当たるのか、当たるときはどんな感じなのかとワクワクしながら打っていた記憶。
今となっては大体の台を打ってしまったため、感動とかワクワクが少ないのがネック…
よく行ってたホールはもう潰れてしまったが、人が少なく、設定は全然入ってないようなホールであった。
しかしそんなホールでも、店員と仲良くなったり古い台を打ったり…当時はそれで満ち足りていた日々。
そんな中、旅打ちをするなら旅費台をホールへの献上金としたい気持ちが強かった。
しかし、自分にも転機が訪れる。
大学も卒業間近というところで、なんと100万単位のプラスがあった。
大学も卒業、来月からくそみたいなサラリーマン生活を思うと、一度はやってみたかった、旅打ちへと向かった。
漠然と、最終目的地を京都に設定し、ナビを使わずにひたすら運転していた。
下道を延々と進み、ホールを見つければ入店し、打てそうな台があれば打つという生活をしていた。
寝床については、「パチスロ一人旅」同様、車中泊が健康ランドを利用していた。
車中泊は慣れるまで体がバッキバキになったり寝心地が悪かったりしたが、創意工夫でなんとか慣れていった。(車は軽)
車中泊をするときは大体道の駅で寝て、起きたらトイレで歯磨きをしたりしていた。
その日暮らしの生活だったが、とても満ち足りた気分になったのを覚えている。
毎日が自分の立ち回り次第、全国各地を回りながらホールに行く。
これは確かに面白く、最高の立ち回りであると実感した。
もう少し早く旅打ちの面白さを知れていればよかったのだが、今となっては遅い話だ…
古い台がたくさんある店、MAXで平均25回転行くような台がたくさんある店、過疎地のパチ屋…
短い期間であったが、様々な場所へ行けた。
旅とは、自分の見聞も広がるため、とても有意義であった。
今のこのサラリーマン生活は苦痛で仕方がないが、いつかまた旅へ行けることを願っていきたい。